
長州藩邸のあった京都ホテルの前にある桂小五郎の像です。

河原町通りと高瀬川を結ぶ路地
■「幾松」
小五郎が池田屋事件などで志半ばで死なずに済んだのはひとえに「幾松」という女性の存在が大きく関与しています。
幾松は京都では名の知れた売れっ子の芸者であり、小五郎とはおさななじみでした。
こんな話があります。
ある日、小五郎が幾松の家を訪れているとき、新撰組が不審に思い家に入り込んできました。小五郎は彼女の手引きで逃げ、彼女はよけいに不審がられて壬生に連れて行かれました。そこで、小五郎のことは、何があっても口を割らなかったといいます。彼らは幾松の気丈さに勝てず、彼女を釈放することになったそうです。
幾松(松子)は床下の小五郎に食料を運んでは、よく世話をしたといいます。また、あちこちの宴席に出ては諸藩の動静を探るというスパイ活動を展開し、桂小五郎の志を励ましたという話が伝わっています。
明治となり、桂小五郎が木戸孝允として内閣の要職につくと、松子を妻に迎え、命をかけた恋は実を結びました。
旧長州藩邸跡の京都ホテルと木屋町通りをはさんで向かい側には、桂小五郎と愛人・幾松が住んでいたところが残されています。 この家は、東に鴨川、西に高瀬川に面していて、いつ幕府方や新選組が襲ってきても逃れられる造りになっていると言われています。
200年近く前の部屋がそのまま保存されていて、見学もできるそうです。
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