坂本龍馬をご紹介します。私は
『竜馬がゆく』を読んで以来、坂本龍馬が大好きになりました。
このページは2006年9月に追加したものです。今年の夏の甲子園は大変盛り上がりました。目標を持った若い選手たちは本当に素晴らしい、感動します。しかしながら悲惨な事故・事件も沢山起きています。私が住むまちでは、家族5人が乗るRV車が飲酒運転の乗用車に追突され、海に転落して幼い3人のこどもの命が奪われました。また、こどもが親を殺す事件も連続して起きています。なぜこの豊かな恵まれた社会でこのような犯罪が起きるのでしょうか。問題の根は深く、簡単に解決できるものではないかも知れません。極々一部の人の犯罪ではありますが、今のこども達・若者が、幕末に強い意志を持って生きた人々を知ることで、何か良い方向に変わるかもしれない、と私は微かな期待を抱いています。
(*無断での写真の転用は禁止いたします)
Last Updated: 3 September 2006
■坂本龍馬の像
風頭公園には坂本龍馬の銅像が建立されています。この公園は長崎の港を見下ろす風頭山にあり、
近くには龍馬が日本で最初に作った貿易商社である亀山社中があり、幕末歴史探訪路の一部になっています。
船が長崎の港内に入ったとき、龍馬は胸のおどるような思いをおさえかね、
『長崎はわしの希望じゃ』と陸奥陽之助にいった。
『やがては日本回天の足場になる』ともいった。 −司馬遼太郎
『竜馬がゆく』より−
和暦年 (西暦)
坂本龍馬年譜 / 主な出来事
天保 6年(1835年)
土佐藩の郷士として生まれる。
嘉永 6年(1853年)
藩から江戸での剣術修行を認められ、北辰一刀流千葉道場に入門。千葉周作の北辰一刀流道場は「玄武館」神田お玉ヶ池にあり、龍馬が通ったのは千葉周作の弟(貞吉)が開いていた桶町の小千葉道場。この年ペリー来航。
文久 元年(1861年)
武市半平太が結成した土佐勤王党に参加。
文久 2年(1862年)
土佐勤王党と決別し土佐を脱藩する。江戸に上り、勝海舟に弟子入り。
文久 3年(1863年)
神戸海軍操練所の塾頭になる、再度脱藩する。
文久 4年(1864年)
神戸海軍操練所、幕府により閉鎖される。
慶応 元年(1865年)
長崎に亀山社中を設立。
慶応 2年(1866年)
寺田屋で襲撃され、その後妻のお龍と霧島の塩浸温泉で日本で最初の新婚旅行。
薩長同盟を実現。ユニオン号を率いて、幕長戦争に参加。
慶応 3年(1867年)
紀州藩船「明光丸」と海援隊の「いろは丸(伊呂波丸)」衝突沈没事件。
亀山社中を海援隊と改称。
11月15日、京都の近江屋にて暗殺される。
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