(*無断での写真の転用は禁止いたします。

司馬遼太郎記念館に行ってきました。撮影可能なところが限られてましたが、少しだけご紹介します。

所在地 大阪府東大阪市下小阪3丁目11番18号 〒577-0803
TEL 06-6726-3860
HP http://www.shibazaidan.or.jp
開館時間 10:00~17:00(入館受付は16:30まで)
休館日 毎週月曜日(祝日・振替休日の場合は翌日が休館)

司馬遼太郎記念館ホームページへ

近鉄奈良線、普通電車で難波から奈良方面へ。八戸ノ里(やえのさと)駅で降り徒歩で約10分超。
司馬遼太郎記念館は閑静な住宅街の中にありました。

司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館

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司馬遼太郎記念館

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司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館


西暦  (和暦年)司馬遼太郎氏の略年譜 / 主な出来事
1923年(大正12年)
8月7日
大阪市浪速区西神田八七九に、薬剤師の父・福田是定と母直枝の次男として誕生。
3歳まで母方実家に近い奈良県北葛城郡当麻町今市で過ごす。
1930年(昭和5年) 大阪市立難波塩草尋常小学校に入学
1936年(昭和11年) 私立上宮中学校へ進学
1942年(昭和17年) 国立大阪外国語学校蒙古語部(現 大阪外国語大学モンゴル語学科)に入学
1944年(昭和19年) 満州、陸軍四平戦車学校に入校・卒業
1945年(昭和20年) 敗戦を迎え復員
1946年(昭和21年) 新日本新聞社に入社
1948年(昭和23年) 新日本新聞社が倒産、産業経済新聞社に入社
1956年(昭和31年) 『ペルシャの幻術師』で第八回講談社倶楽部賞を受賞。
『史記』の司馬遷に遼かにおよばぬという意味で、『司馬遼太郎』の筆名を名乗る
1959年(昭和34年) 社内の松見みどりさんと結婚。『梟の城』など刊行
1960年(昭和35年) 『梟の城』で、第四十二回直木賞を受賞
1961年(昭和36年) 産経新聞社を退社
1962年(昭和37年) 『新選組血風録』を『小説中央公論』に、『竜馬がゆく』を『サンケイ新聞』に、『燃えよ剣』を『週刊文春』に連載開始 など
1966年(昭和41年) 『峠』を『毎日新聞』に連載開始など
1967年(昭和42年) 『最後の将軍―徳川慶喜』を刊行など
1968年(昭和43年) 『歴史を紀行する』を『文芸春秋』に連載など
1969年(昭和44年) 『世に棲む日々』を『週刊朝日』に、『花神』を『朝日新聞』に連載開始。
『坂の上の雲(第一、ニ巻)』、『歴史を紀行する』、『歳月』、などを刊行
1971年(昭和46年) 『街道をゆく』を『週刊朝日』に連載開始。 『世に棲む日々』、『街道をゆく-甲州街道、長州路(一)』を刊行
1972年(昭和47年) 『花神(第一巻~四巻)』を刊行
1975年(昭和50年) 『翔ぶが如く』を刊行
1979年(昭和54年) 『胡蝶の夢』を刊行
1996年(平成8年) 『街道をゆく-三浦半島記(四十二)』、『街道をゆく-濃尾参州記(四十三)』、『この国のかたち(五・六)』、『風塵抄(二)』を刊行

腹部大動脈瘤破裂のため急逝、享年73歳

司馬遼太郎記念館
司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館 地図