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河原町通り、京都ホテルを出発。1200余年の古都・京都は、常に歴史の舞台でした。
幕末歴史の余韻も残る町・京都では、「時を越える旅」を体感できます。

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桂小五郎像

■桂小五郎の像

長州藩邸のあった京都ホテルの前に立っている桂小五郎の像です。
DL新八 〜水戸天狗党の足跡を追う〜 管理人:こつねさんのお薦めで
ここを出発地としました。こつねさん、ありがとう。
■池田屋騒動之址
元冶元年(1864)6月5日に起きた「池田屋騒動」は、長州藩の定宿であった池田屋に集まっていた尊譲派の浪士たちを新撰組が襲ったという事件です。これは後に新撰組の名を世間に轟かすことになりました。
この日の京都は有名な祇園祭が催され、町はたくさんの人々で賑わっていたそうです。 激しい騒動があった場所も、今ではその面影すらありません。(パチンコ屋さんになってました ^^;) 通りを見ても当時を偲ぶ人は一人もいない様子。。。
池田屋騒動の址
田安門 黒門
■高山彦九郎
高山彦九郎は延享4年(1747)に上野国新田郡細谷村、現在の群馬県太田市細谷町に農民だった父、 彦八正教の次男として生れたそうです。江戸時代中期の勤王思想家で、その後の幕末の勤王の志士たちに とても大きな影響を与えた人物だったといわれています。 当時、まだ幕府の権力が強い時代に尊皇を唱え幕府に反発しました。彦九郎は尊皇の旅をし、日記につづり ながら全国を回りますが、幕府の圧力があったのでしょうか、久留米で 自刃してしまいます。銅像は彦九郎が京都を出入りする度に皇居の方角を向き、ひれ伏す姿が再現されています。

佐久間象山
■佐久間象山
松代藩(長野県)下士で、幕末期の思想家です。(父:佐久間一学、母:荒井六兵衛の娘、まん)。
文政9(1826)年家老鎌原(かんばら)桐山から儒学を、町田源左衛門から和算を学びます。
天保7(1836)年に帰藩。天保10(1839)年には江戸再遊、神田お玉が池の星巌宅の隣に塾を開きます。
嘉永3(1850)年に、深川藩邸で砲学の教授を始め、勝海舟、吉田松陰、橋本左内、河井継之助ら、後に活躍する有能な人材を門下に集めました。
嘉永6(1853)年、ペリー来航に際し、老中阿部正弘に「急務十条」を提出しました。
文久2(1861)年には蟄居を許可されましたが、元治元(1864)年、孝明天皇の彦根動座を画策したことが原因となり、7月11日に三条木屋町筋において尊攘派の手により暗殺されました。享年54歳でした。その後佐久間家は断絶となりました。
右の写真は加賀藩邸跡。
加賀藩邸

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