昔から大阪では、「京おんなは好いても惚れぬ」といわれてきたが、あずまえびすは、義仲にせよ、頼朝にせよ、 義経にせよ、尊氏にせよ、この手であしらわれてきたのかもしれない。家康のみは京都と絶縁して江戸で政権 をたてた。これらの権力の狂宴のなかでは秀吉と長州人のみはもっとも好かれた。しかし好かれても惚れられ たかどうか。 豊臣家の滅亡と運命を共にした京都人はいなかったし、また長州人に心中立てをして革命の火をくぐって死ん だ京都人もいない。しかし長州人に拍手を送った幕末の京都人の気概と好みは、いまも選挙で革新系候補に 多数の票を送り、知事も市長も社会党というあたりにさえざえと伝統を残している。 かといって革新勢力は甘ったれるわけにはいくまい。この日本唯一の都会人(東京も大阪も各県の植民地に すぎぬとすれば)ともいうべきわが市民の中には、「好いても惚れぬ」という風雪千年の自我が確立しているの である。 司馬遼太郎著『歴史を紀行する』より。 |
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