寛永寺の旧黒門
黒門 東京都荒川区南千住 円通寺

幕末歴史探訪が参考にしている幕末小説、吉村昭氏の作品を紹介します。
Last Updated: 20 November 2011

吉村昭氏(よしむらあきら) 昭和2年(1927)〜平成18年(2006)

その周到な取材と丹念且つ緻密な構成で見事な歴史小説を書き上げる。東京都出身。

『ふぉん・しいほるとの娘』

ふぉん・しいほるとの娘
『ふぉん・しいほるとの娘』

文政6年(1823)、シーボルト(独人)はオランダ商館医として長崎の出島に赴任、翌年の文政7年(1824)には鳴滝塾開設、高野長英や二宮敬作などもここで学んだ。シーボルトと楠本タキとの間に生まれたイネは、宇和島藩の伊達候のもとで大村益次郎を蘭学の師とし、益次郎の最期を看取るという運命を辿る。吉川英治文学賞受賞作。

『暁の旅人』

『暁の旅人』

安政4年(1857)、長崎でオランダの医官ポンペから西洋医学を学び、幕府の西洋医学所頭取を務め、慶応4年/明治元年(1868)からの戊辰戦争においても信念を貫いて生きた医者松本良順を描く歴史小説。同題材の小説に司馬遼太郎氏の『胡蝶の夢』がある。

『桜田門外ノ変』

『桜田門外ノ変』

安政7年(1860)、江戸城桜田門外において水戸・薩摩藩の脱藩浪士が大老井伊直弼を暗殺した。この事変は幕末の日本に大きな転機をもたらすことになる。襲撃現場の指揮者である関鉄之介を主人公として、黒船来航に始まる幕末、安政の大獄からその事変後の逃亡生活を描いた歴史小説。

『生麦事件』

『生麦事件』

文久2年(1862)、横浜郊外の生麦村で起きた薩摩藩士による英国人斬殺事件がおこる。この事件が契機となり文久3年(1863)に薩英戦争が勃発、薩摩藩は欧米列強の力を思い知ると同時に、英国との友好関係を深める結果にもなった。文久3年(1863)と文久4年(1864)の馬関戦争の影響で欧米列強に対する武力対抗を放棄し、国外技術を積極的に導入して近代化を図る方針をとった長州藩と慶応2年(1866)に薩長同盟を締結して、共に倒幕への道を進むことになる。明治維新に至るまでの激動の時代を描いた歴史小説。

『天狗争乱』

『天狗争乱』

元治元年(1864)筑波山で挙兵した水戸天狗党によって起こされた天狗党の乱を描いた小説 。彼らははるばる福井県の敦賀(つるが)まで行軍したが、828名のうち352名が処刑されるという悲劇の末路をたどる。水戸藩はその後も内紛【保守派(諸生党)と改革派(天狗党)の抗争】が続き、尊皇攘夷思想の元祖水戸藩が幕末の中心役になれなかった大きな要因となっている。大佛次郎賞受賞作。

『彰義隊』

『彰義隊』

慶応4年/明治元年(1868)に始まる戊辰戦争、上野寛永寺の山主である輪王寺宮能久親王が主人公として描かれた吉村昭氏最後の歴史小説。