
平野国臣銅像(福岡市西公園)

平野国臣銅像(福岡市西公園)
写真は福岡市の西公園にある銅像です。野村望東尼とも関わりが深く、望東尼が投獄中の国臣に激励の歌をおくったことが縁で、平尾の山荘に出入りするようになったといいます。

平野国臣追慕碑(福岡市中央区)

平野国臣誕生之地(福岡市中央区)
平野国臣は福岡藩士ですので、ここで福岡城跡をご紹介します。

史跡福岡城跡

史跡福岡城跡
黒田長政は、慶長5年(1600年)10月、筑前の領主となり名島城に入城したが、治政上適地でないとみて、この地に福岡城を築いた。この地は当時福崎といっていたが、長政は祖先の領地備前(岡山県)の福岡にちなんで改名したといわれる。
築城には7ヵ年を要し、石垣積みの名人といわれた重臣野口一成のさしずによって、5メートルから15メートルにおよぶ石垣がめぐらされ、今もなお、その規模の雄大さを誇っている。
福岡市教育委員会
※現地案内板より。

史跡福岡城跡

史跡福岡城跡
別名「舞鶴城」と呼ばれ、九州一の広さ(47万平方メートル)を有す城が完成しました。その雄大さに熊本城藩主の加藤清正も絶賛したといいます。特に野口一成が指揮した石垣が素晴らしく、別名「石城」とも呼ばれています。

史跡福岡城跡

史跡福岡城跡

史跡福岡城跡

史跡福岡城跡

史跡福岡城跡

史跡福岡城跡
天守閣跡から見た風景です。左側の写真には福岡市の中央にある公園、大濠公園が見えます。そこから方向を北へ向けますと福岡タワーやヤフースタジアムが望めます。

平野国臣殉難の地(京都市中京区)

平野国臣殉難の地(京都市中京区)
文久3年(1863年)10月に但馬国生野(兵庫県生野町)、七卿落ちの公卿の沢宣嘉(さわのぶよし)を推して挙兵(生野の変)しましたが、諸藩の兵に鎮圧され、京都六角獄舎に投獄されました。文久4年(1864年)禁門の変で京都が混乱する中、獄中において斬首されています。
わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山
平野国臣が詠んだ歌です。国臣は僧月照を連れて薩摩に逃れるなど、西郷隆盛とも親交の深い人でした。

日本近代医学発祥之地(京都市中京区)

山脇東洋観臓之地(京都市中京区)
宝暦4年(1754年)山脇東洋はここ六角獄舎(六角通大宮西入ル)にて、日本ではじめての人体解剖を行いました。その後、山脇東洋はその記録を『蔵志』として出版しています。江戸の杉田玄白が外国の解剖書を翻訳し、『解体新書』を著す随分前のことです。

福岡藩招魂社【京都霊山(りょうぜん)護国神社】

福岡藩招魂社【京都霊山(りょうぜん)護国神社】
明治三年(1870年)三月、福岡藩主黒田長薄により創建され、平野次郎国臣を始め、福岡藩出身の勤皇志士を祭神とし、同年七月繰り目藩出身の真木和泉守他十三柱を合祀し今日に至る。
※現地案内板より。
Copyright(C) 2001-2008,幕末紀行人 All Rights Reserved.