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Last Updated: 3 September 2006

大村益次郎の銅像

大村益次郎の銅像

大村益次郎の故郷、山口市鋳銭司にある鋳銭司郷土館をご紹介します。

鋳銭司(すせんじ)郷土館

〒747-1221 山口県山口市鋳銭司1422
JR山陽本線四辻駅から徒歩で20分  中国自動車道小郡ICから車で15分  山陽自動車道山口南ICから車で5分

本箱

大村益次郎が使用していた蘭学書本箱。
「蘭箱」と直筆で書かれている

ちょうちん

村田蔵六の名が記されています
 

益次郎辞令資料

辞令

ミニエー銃

四境戦争でも使われたミニエー銃

兵部大輔辞令

明治2年発令の兵部大輔辞令

大村 益次郎(おおむら ますじろう)
文政7年5月3日(1824年5月30日) - 明治2年11月5日(1869年12月7日)
変   名:〈諱〉永敏 〈称〉宗太郎・蔵六(村田)、益次郎 〈雅〉良庵・良安・亮安

維新草創の時、身命を賭して近代兵制の確立を目指した先覚者が、長州出身の大村益次郎です。益次郎は、武士の廃止・国民皆兵の信念をもっていました。新しく徴兵制をしき、全国民の中から、身体の丈夫な、精神の強い、知識の優れたものを採用し、外国にひけをとらない日本国軍隊の建設を目指します。しかしながら、この計画を必ずしも好ましく思わない武士たちの不満は高まり、益次郎は襲撃され、志半ばで亡くなります。

益次郎の墓

大村益次郎の墓

益次郎の墓

大村益次郎の墓

大村神社

資料館の近くにある大村益次郎神社

大村神社

神社内

ドイツ人のシーボルトと楠本タキとの間に生まれたイネは、大村益次郎を蘭学の師とし、女医を目指し、益次郎の最期を看取るという運命をたどります。