元治元年七月、京都蛤御門の変が起こり、会津、桑名連合軍と戦い、長州藩利なくして敗走した。
桂はひとり京都に留まっていたが、幕吏の追求が急となったので、愛人幾松が身を以って桂の窮地を救った。
しかし桂は京の都に身を隠すところ無く、当時但馬国、出石町出身の広戸甚助と云う人を、桂は知っていた。
桂は甚助を呼び、彼の生国但馬へ遁れ、時の到るのを待つことを告げたところ、甚助快く受け、その夜直ちに変装して、
船頭姿となり甚助と共にひそかに京の都を出て路々諸藩の関所を過ぎるのに、但馬国伊合村卯左衛門と名乗った。
すでに丹波を過ぎて、但馬の国境久畑村に至った。此処は出石藩の関所があり、桂は関吏の尋問に遇い但馬弁でないのを
知られ、関吏あやしんで追窮がきびしかった。吏は桂を捕縛しようとした。
甚助後れて来て、百万弁護したところ、吏の中に甚助の心易いものがいて、之により許されて危急を救った。
虎口を遁れ、夜に入って出石に着き、甚助の旦那寺、昌念寺に潜んだが、会津藩士が出石に着き桂の行方を
探索するので、桂は城崎温泉御所湯前の宿「つたや」に移った。時に元治元年九月のことであった。
当時つたや旅館は女戸主で、一人娘たきと言うものがいて、桂の境遇を悟って非常に親切であった。 桂は入浴して
心身を休めて後のはかりごとをめぐらした。桂はつれづれの間に出石町に出て、八百屋の店番を勤めたりしていた。
その頃幕府は第一時長州征伐を行い、家老福原等を誅して藩主父子を監禁した。桂はこれを聞くたびに悄然大息して
心より悲しんだ。長州再興を幕府と戦うに当り、桂を探し其の帰藩を望む。愛人幾松長州より城崎湯島の里へ
尋ねて来て、長藩の大勢を告ぐ。共につたや旅館に泊まって入浴し長州に帰り木戸と改名す。当時桂は三十三才で
あった。
旅館 つたや
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