■上野彦馬の墓
上野彦馬は、日本最初の職業写真家です。長崎の銀屋町に生まれました。上野家は、先祖代々肖像画を描く画家の家系でした。
こんな話があります。某日、彦馬は手製の写真機を完成させると、興福寺の山門を撮影することに成功しました。次は生きている人の姿を撮影してみたいと思いますが、当時は『写真と撮ると魂を抜かれる』などと言われ、皆気味悪がって被写体になってはくれませんでした。そのため、彦馬は、医学伝習所頭取の松本良順に依頼します。西洋医学に理解のある良順ならば、きっと引き受けてくれるであろうとの思いからでしたが、予想通り良順は引き受けてくれました。彦馬は良順が宿舎にしていた本蓮寺に到着すると、良順の顔一杯に白粉を塗り始めました。当時の写真技術はまだまだ未成熟で、被写体自体が明るくなければ、綺麗に撮影が出来なかったためです。また感光させるのにも相当な時間がかかりましたので、良順は顔一杯に白粉を塗りたくられ、数分以上もじっと立ち続けていたと思われます。滑稽な光景ですが彦馬も良順も真剣でした。この辺りの話は司馬遼太郎氏の著書:『
胡蝶の夢』に詳しく書かれています。
その後彦馬は市内に『上野撮影局』という写真館を開設、ここで坂本龍馬や高杉晋作、桂小五郎らの写真を撮影したのです。
■ 勝海舟寓居の地(写真左) と 本蓮寺(写真右)
勝海舟は安政2年(1855年)海軍伝習所伝習生頭取として長崎に来、寄宿したのがこの本蓮寺内です。ここで海舟は世界情勢や西洋の海軍学などを勉強しました。この本蓮寺には松本良順も寄宿しています。
■出島
■最初の荷揚場築足し石垣
荷揚場は出島築造当初にはなく、後年3回築足しされました。この石垣は最初に荷揚げ場が築足しされた時のものです。
■旧グラバー住宅
文久3年建築。幕末日本の近代化に尽力した英商トーマス・グラバー氏の旧邸。現存する木造洋館ではわが国最古のものです。この応接室で高杉晋作、伊藤博文などがグラバーと面談しました。
■三浦環像
オペラ『蝶々夫人』のヒロインを何度も演じ、この悲恋物語を世界的に有名にしたオペラ歌手、三浦環の記念像です。(港の見える丘で帰らぬ人を待っている蝶々夫人)
トマス・B・グラバー
イギリス人貿易商として主に薩摩、長州相手に武器取引を行いました。日本には50余年在住し東京で慢性腎臓炎となり、 70歳で死去。日本人女性を妻としており、その名を『ツル』と言いましたが、このツルさんは、アメリカ海軍士官ピンカートンと日本人女性蝶々さんの悲劇を描いた世界的なオペラ『Mme.Butterfly : マダム・バタフライ』の蝶々夫人のモデルだという説があります。
蝶々夫人が夫に裏切られて自刃するのに対し、ツルは夫グラバーに見守られ、1899(明治32)年にがんで亡くなるまで51年の人生を全うしました。
倉場 富三郎
トマス・B・グラバーとツルさんの息子。グラバー⇒クラバ⇒倉場。ホ−ム・リンガ−商会、 長崎漁業汽船株式会社の重役を歴任。 1945(昭和20)年8月26日長崎に原爆が投下されてから、18日目にグラバー邸近くで自殺しています。
Copyright(C) 2001-2007,幕末紀行人 All Rights Reserved.