長州路、湯田温泉と山口市内を訪ねました。

(*無断での写真の転用は禁止いたします)
Last Updated: 10 June 2007

井上聞多(のちの馨)というひとがあった。
このひとは機略家としては高杉晋作以上だったかと思われるふしもあるが、しかし高杉はうまれつきの器量がスターであったし、政治的スターとしての演技力も大衆動員力も十分にあったから、その盛名のかげに井上の存在は翳っている。もっとも井上自身は自分の分を心得ていて、維新後は伊藤博文の脇役になり、生涯脇役であることに甘んじつづけていた。(中略)

この井上聞多が、湯田のうまれである。
井上家は、幕末の奔走家のなかでは上層の階級といってよく、百石取りの堂々たる上士であった。
屋敷も、湯田にあった。萩城下の上士でなく、要するに在郷の藩士である。
『街道をゆくシリーズ 甲州街道、長州路』より引用しました。
袖解橋
袖解橋
井上聞多
高田公園 井上馨(聞多)像

袖解橋(そでときばし)のいわれ ※現地案内板より
今から六百年ばかり前、山口で大内氏が栄えていたころ、秋穂街道は秋穂の港から山口に通じる主要街道でした。
この道は別名御上使道(ごじょうしみち)とも呼ばれ、秋穂渡瀬(あいわたせ)をわたって此処から山口の町に入りました。
全国各地から山口に登城した侍たちは、ここまでくると狩衣、直垂の袖をくくっていた旅装を解いて身づくろいをして山口に入りました。
そこでこの橋の名を袖解橋というようになりました。

井上聞多は伊藤博文らとイギリスへ留学した後、国力の違いを肌で感じ開国論に転じます。第1次長州征伐では武備恭順を主張したため、ここ袖解橋付近で俗論党に襲われ瀕死の重傷を負いますが、所郁太郎の手術を受け、一命をとりとめます。

右上の高田公園 井上馨(聞多)像写真には、所郁太郎の顕彰碑が写っています。以下、顕彰碑の内容です。
所郁太郎は天保九年、美濃国赤坂に生まれた。長じて京都に出、医学を学び、さらに大坂の適塾で西洋医学・洋学を修め、学・術ともに精進した。京都で医院を開いたが、長州藩の京都邸の近くにあったので、藩の邸内医員を委嘱された。尊王の志が篤く、長州藩士と深く交わって時勢を通観し、医業をやめて国事に尽くそうとし長州に来往した。下関の攘夷戦にも参加し、七卿西下の降してはその医員に命ぜられた。
元治元年九月、井上馨の袖解橋の遭難にはただちに馳せつけ、数か所の刀傷を五十数針縫い合わせる大手術をなし、瀕死の井上を奇跡的に救った。後年の井上の業績を思うとき、この所の治療を忘れてはならない。
慶応元年正月、高杉晋作が兵を挙げ、藩の俗論党と戦ったとき、所は迎えられて遊撃隊の参謀となり、高杉に協力した。
その後幕府の長州征伐に備えて、軍を進めようとした時、にわかに病んで、吉敷の陣中で歿した。二十七歳であった。明治になり特旨をもって従四位を贈られた。

七卿の碑
七卿の碑
井上家跡
井上家跡
何遠亭跡
何遠亭跡
龍尾の手水鉢
龍尾の手水鉢(りゅうびのちょうずばち)
高田公園 ※現地案内板より
この公園は、明治維新の大業推進の功があった井上馨候の生誕地で、井上公園と呼ばれ親しまれていましたが、後に区域が広がり、地名をとって高田公園となりました。
園内には、井上馨候の銅像や、文久三年(1863年)の政変で、京都から長州に落ちのびた三条実美ら七卿が寄宿した何遠亭(かえんてい)跡や、かん難辛苦のなかに国事につくした功績を記念して建てられた七卿の碑があります。このほか、「日本のランボウ」といわれた、中原中也の詩碑や、防府市出身の漂白の俳人、種田山頭火の句碑が建っています。

中原中也誕生の地址


周布政之助の碑
周布政之助の碑
瓦屋跡
瓦屋跡

周布政之助の碑 ※以下、現地案内板より。
周布政之助は、長州藩の重臣として幕末の動乱期に奔走して藩政に尽くした。高杉、伊藤、井上等の青年志士をよく庇護し、藩論が動揺する中にあって、いつも指導的な立場にあって藩の方向を定めた。
幕府の長州征伐に当たっては、萩では俗論派が威をふるい、急進派の志士を遣責したが、周布も謹慎を命ぜられ、大歳の吉富家へ軟禁された。しかし周布は身をもって藩内の紛争を防ごうとして元治元年九月二十六日遺書を残して自刀して果てた。享年四十二才であった。この碑は、その周布の偉勲を永久に伝えるため、自刀の地の近くを選んで建設したものである。

史跡かわらや ※以下、現地案内板より。
瓦屋は幕末から明治初期にかけて木戸孝允など維新の志士たちが利用した旅館。
松陰門下生・山田顕義の妻は瓦屋の娘である。

人相覚
人相覚
長州蕎麦 東京庵
長州蕎麦 東京庵

おおすみ歴史美術館にある人相覚。平野國臣、高杉晋作、西郷吉之助の指名手配書です。
松田屋の近くにある東京庵、長州蕎麦・そば寿司は美味しいですよ、お薦めです。


瑠璃光寺 五重塔
瑠璃光寺 五重塔
司馬遼太郎 街道をゆく 長州路
司馬遼太郎 街道をゆく 長州路

長州は、いい塔をもっている
と、惚れぼれするおもいであった。長州人の優しさというものは、山口に八街九陌をつくった大内弘世や、ザビエルを保護した義隆などの大内文化を知らねばわからないような気もする。

大内弘世公之像
大内弘世公之像
フランシスコ ザビエル
井戸端で説教するフランシスコ ザビエル

Copyright(C) 2001-2007,幕末紀行人 All Rights Reserved.