■高杉晋作誕生地にある初湯の井戸
和暦年 (西暦)
高杉晋作年譜 / 主な出来事
天保10年(1839年)
萩市に生まれる。
嘉永 5年(1852年)
藩校の明倫館に入学。
安政 4年(1857年)
松下村塾に入門。
安政 5年(1858年)
安政の大獄の年、藩命で江戸へ遊学。
安政 6年(1859年)
吉田松陰が江戸にて投獄、死生観の手紙をもらう、その後松陰は処刑。
万延 元年(1860年)
桜田門外の変の年、防長一の美人と言われた雅子と結婚。佐久間象山・横井小楠と会見。
文久 元年(1861年)
長州藩の世子・定広の小姓役(殿中近侍の侍)となる。
■高杉晋作は、萩の城下菊屋横丁で父小忠太、母道の子として生まれました。高杉家は200石取りで萩藩の重要な役職についていました。幼少時代は剣道に励みたくましく育ちます。 17歳で吉田松陰の松下村塾に入門。ひとつ年下の久坂玄瑞と競って勉強し、晋作は『鼻輪も通さぬ放れ牛、束縛されない人』、玄瑞は『政庁に座らせておけば、堂々たる政治家』とたたえられ、のちにふたりは松下村塾の双璧と呼ばれるようになります。
司馬遼太郎氏の著書『
世に棲む日日』には、晋作が始めて久坂玄瑞に連れられ松下村塾をたずねたときの様子が次のように書かれています。
松陰はうなずき、ふたたび顔を伏せて高杉の文集を読んだ。
やがて顔をあげ、最初にいったことばは、高杉が終生わすれられぬところであった。
「久坂君のほうが、すぐれています」と、いうのである。
高杉は、露骨に不服従の色をうかべた。
(おもったとおりだ) と、松陰はおもった。
人を見る目が異常にすぐれている松陰は、この若者が、裏へまわってここへ入ってきた最初から、尋常でない男がやってきたという感じがした。ふてぶてしいというわけではないが、渾身にもっている異常なものを、ところどころ破れてはいても行儀作法というお仕着せ衣装で包んでいる。それも、やっと包んでいる。
---奇士が、二人になった。 と、松陰はおもった。
「松下村塾の目的は、奇士のくるのを待って、自分(松陰)のわからずやな面を磨くにある」
と、かねて友人たちに洩らしている自分の塾の目的にみごとにかなった人物が、久坂のほかにいま一人ふえたという思いが、松陰をひそかに昂奮させている。
■高杉晋作誕生地の表門と敷地内
■高杉晋作誕生地記念碑と誕生地近所にある円政寺(萩市南古萩町6)
■円政寺の天狗の面

円政寺境内にある金毘羅社の拝殿の前にかけられている大きな赤い天狗の面
晋作がまだ幼かった頃、家人に何度もここに連れて来られこの面を見せられて物恐れをしないように躾けられたという逸話があり ます。
二十歳のとき 江戸から信州を回って旅をし、佐久間象山に会い「外国を見なければならない」と教えられ、その二年後の文久2 年(1862年)、藩命を受け五代友厚らとともに、幕府使節随行員として長崎から中国の上海へ渡航しています。アヘン戦争に 負けた清国の姿を見たことが、後の晋作の人生に大きな影響を与えることになりました。
これより晋作は上海へ向かいます。
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