幕末明治に活躍した人々の船宿『寺田屋』を取材しました。
ここでは、文久2年4月23日(1862年5月29日)、尊王派が集まって決起を企てた寺田屋騒動がありました。
また慶応2年1月23日(1866年3月8日)には、坂本龍馬襲撃事件もおこっています。
(*無断での写真の転用は禁止いたします)
Last Updated: 10 September 2006
■寺田屋
寺田屋と書かれた軒提灯が吊るされています。もとは船宿で現在でも宿泊できます。
※京阪中書島駅より徒歩5分、市バス中書島より徒歩1分。
見学料金:500円/見学時間:午前10時〜午後3時50分
宿泊料金:(一泊朝食付)6,500円/(素泊り)6,000円 お問合せ先:(075)622-0243
■坂本龍馬の像(写真左)と、薩摩九烈士の碑(写真右)。
寺田屋騒動(薩摩藩粛正事件)文久2年4月23日(1862年5月29日)
上洛した島津久光があくまでも公武合体を推進することに失望した薩摩藩尊王派の有馬新七らが、京都所司代襲撃のため寺田屋に集結しました。島津久光はこれを許さず、剣術に優れた九名の鎮撫使、上床源助、江夏沖左衛門、大山綱良、鈴木昌右衛門、鈴木昌之助、道島五郎兵衛(闘死) 、奈良原繁、森岡善助、山口金之進を派遣し粛清しました。この結果、久光は朝廷より絶大なる信頼を得ることになります。
九烈士とは闘死した尊王派側の有馬新七、田中謙助、橋口伝蔵、柴山愛次郎、弟子丸龍助、橋口壮介、西田直五郎、森山新五左衛門、山本四郎です。
二階には大物の尊王派である大山巌、西郷従道、三島通庸、篠原国幹、永山弥一郎らが居ましたが、説得に応じ投降します。後に活躍する彼らが投降せず闘死していたなら、歴史は大きく変わっていたことでしょう。
寺田屋の女将お登勢は明治30年、48歳でこの世を去るまで約30年間に渡って女将をつとめ、その100年忌に寺田屋保存会によってお登勢明神が庭に建てられました。
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