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Last Updated: 23 September 2011

慶応元年(1865)、高杉晋作は攘夷主義者らに追われ、下関の芸妓で愛人のおうのを連れだって讃岐国那珂郡榎井村(現在の香川県仲多度郡琴平町)に逃れ、日柳燕石(くさなぎ えんせき)に匿ってもらいます。

日柳燕石 文化14年(1817)〜慶応4(1868) 幕末の志士であり博徒の親分。
高杉晋作を匿い逃亡させた罪で投獄。慶応4年(1868)に出獄し、その後新政府軍に加わり北陸に出征したが長年の投獄生活がたたり、越後柏崎で病没した。享年52歳。

日柳燕石旧宅 呑象楼(どんぞうろう)

呑象楼は興泉寺のそばにあったが、この地に移築された。
燕石宅で酒を呑むと、盃に浸した酒に象頭山(金毘羅宮がある山)が映しだされたことから、象頭山を呑むという意味で呑象楼と名づけられたという。

日柳燕石旧宅 呑象楼

日柳燕石旧宅 呑象楼

日柳燕石旧宅 呑象楼

日柳燕石旧宅 呑象楼

日柳燕石旧宅 燕石の胸像

日柳燕石旧宅 呑象楼 燕石の胸像

日柳燕石旧宅 呑象楼

日柳燕石旧宅 呑象楼

日柳燕石旧宅 呑象楼

日柳燕石旧宅 呑象楼

長谷川佐太郎旧家 呑象楼より徒歩すぐ

幕末、金毘羅(こんぴら)の志士として日柳燕石の他、長谷川佐太郎がいます。佐太郎は榎井村の造酒家で、燕石とも深く交流しました。文久3年(1863)大和の挙の後、桂小五郎はこの旧家の離れに潜伏していたことがあり、捕吏の捜査を受けた際、酒樽の中に身を潜め、辛うじて脱することができたといわれています。

長谷川佐太郎旧家

長谷川佐太郎旧家

長谷川佐太郎旧家

長谷川佐太郎旧家

長谷川佐太郎旧家

長谷川佐太郎旧家

高燈篭

高さ27.6mの高燈篭。慶応元年(1865)に建立されており、高杉晋作も見たと思われます。

高燈篭

高燈篭 琴電琴平駅のそば

香川県仲多度郡琴平町(ことひらちょう)

古くからこんぴらさん(金刀比羅宮)の門前町として栄え、江戸時代中期以降は庶民の間でもますます金毘羅参りが盛んになり、全国から多くの参拝者が訪れるようになった。

鞘橋

琴平町内を流れる金倉川に架かる、全国的にも珍しい、屋根を持つアーチ型の木造橋。伝承によると、鞘橋は元禄年間頃、内町一ノ橋の所に建設され、江戸時代には、幾度も洪水により流失。そのたびに架け替え工事が行われ、現在のものは阿波麻植郡講中寄進により、明治二年五月竣成。
明治三十八年、橋の架け替え工事に伴い、現在地に移築の後は、主として神事専用の橋となり、金刀比羅宮の御旅所で行われる年三回の祭典にのみ使用されている。
平成十年四月二十一日、国の登録文化財に指定される。

橋の概要

長さ:二十三メートル   幅:四・五メートル

屋根は銅葺唐破風、両岸より組み出しの構造のため「浮橋」とも呼ばれている。

鞘橋

鞘橋

鞘橋

鞘橋