(*無断での写真の転用は禁止いたします)
Last Updated: 23 June 2007
山鹿流兵学学祖の山鹿素行は会津若松出身ですが、孫の山鹿高道が江戸より平戸へ移り住み、平戸藩につかえ、その子孫は代々家老職をとり、学統をまもっていました。
吉田松陰 平戸街道
吉田松陰 腰掛けた石
松陰は、嘉永3年(1850年)21才のとき毛利藩候より平戸に葉山鎧軒、山鹿高紹のいることを聞き、その年の九月西遊して平戸に来た。この西遊の時、佐世保を経て平戸に向かう途中江迎の庄屋に一泊している。 この石は、松陰の日記にも記されているように、当時の困難な徒歩旅行で、やっとのことで庄屋に泊めてもらうことになったが、家の中に入る前に、くたくたに疲れた体をしばらくこの石に腰をおろして休めたといわれている。(現地案内板より)
平戸城
吉田松陰宿泊紙屋敷
平戸城(写真左)と吉田松陰宿泊紙屋敷(写真右)。
1850年(嘉永3年)、山鹿流軍学を学ぶために平戸を訪れた吉田松陰は、儒学者で平戸藩家老でもあった葉山佐内に惹かれ、この地にあった紙屋に滞在しながら数多くの書物を書き写したという。(現地案内板より)
日新館
日新館 天文台跡
■左写真は会津若松市河東町南高野字高塚山にある会津藩校『日新館』です。ここは会津藩の城:鶴ヶ城からかなり離れており、当然当時藩校はこの地にはなく、観光用に復元されたものです。日新館跡地は鶴ヶ城そばに天文台跡として残っています(右写真)。松陰はこの地にあった『日新館』を見学しています。